Photographer 篠田通弘作品展

αで撮る 夜の輝き
-星空・ヒメボタル-


会期 2023年12月16日(土)から2024年1月4日(木)
会場 ソニーストア福岡天神(福岡市中央区今泉1-19-22


αプラザ福岡天神 にて 開催中!


●SONY αプラザ福岡天神・写真展 のアナウンスは こちら








αプラザ福岡天神 篠田通弘作品展「αで撮る夜の輝き-星空・ヒメボタル-」 風景


現在開催中のαプラザ福岡天神のギャラリースペースは、ソニーストア名古屋のギャラリースペースに比べて狭く、αプラザ名古屋の展示作品のうち最大のB0写真パネルは展示を断念しました。会期2日目に会場を訪れた際には作品も半分ほどしか展示されておらず、ポスターセッション・パネルはほとんど展示されていませんでした。そこで事前に送った分をすべて出していただき、大判のB1写真パネルは床に並べる形にして、ともかく搬送分をすべて会場でご覧いただけるようにしました。本当は作品を床に直置きしたくないのですが、やむを得ませんでした。

岐阜から福岡は余りにも遠くて、展示準備にはうかがえませんでした。最大の理由は宿泊費の高騰です。年末ということもあってか土曜日の宿泊単価は平日の2倍という信じられない金額でした。私にはとても払えません。そこでαプラザ担当者宛に名古屋の展示プランを参考にしていただけるよう速達郵便で送りましたが、会場の規模が違うことや、作品展の趣旨が十分に伝わらなかったことなどで、最初に触れたような状態で作品展はスタートしました。作品展2日目の12/17の開店前にうかがうことができ、大急ぎで展示を手直ししました。初日にご来場のお客さま、αプラザ福岡天神のスタッフの皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。

αプラザ名古屋作品展では20日間の会期中12日間在廊し、来場くださった方へ解説をさせていだたきました。今回の作品展は「星空」と「ヒメボタル」がテーマテーマでした。「星空」はともかくも、「ヒメボタル」については近年名古屋城外堀や相生山で深夜に光るヒメボタルが広く知られるようになり、αプラザ名古屋ではご存じの方がたくさんいらっしゃいました。実際に見たことがあるという方も多かったです。
福岡県にもヒメボタルは生息しています。しかし福岡県ではヒメボタルは市民権のないほとんど未知の昆虫のようで、ホタルといえばゲンジボタルを思い浮かべる方が大半でした。また同じヒメボタルでも岐阜県大垣市金生山と福岡県では発光活動の時間帯が異なるなど、その生態は大きく違います。私自身の長期間の在廊は難しく、金生山ヒメボタルの発光活動を比較明合成を用いずに「写真」として作品化するという今回のテーマについても十分に伝わらないことを心配しました。

そこで金生山ヒメボタルについて知っていただき、作品鑑賞に役立てていただけるよう三つ折りリーフレットを制作しました。自由にお持ちいただけるよう会場に置いています。ご来場いただけない方には、次のサムネイルをクリックするとPDFデータがご覧いただけます。A4判用紙に両面印刷して3つに折ると三つ折りリーフレットが完成します。ご利用いただけると幸甚です。


■■ αプラザ福岡天神 篠田通弘作品展 は 2024年1月4日まで ■■
12月31日、1月1日は休業日、最終日は17時まで


巻き三つ折り オモテ

巻き三つ折り ナカ
 



【戯れ言】


ソニーストア名古屋作品展で心残りなことがあります。改めて記すほどのたいしたことではありませんが。

ストア名古屋勤務のSONYの某社員さんから連絡をもらったことがあります。事のついでですから、そのこと自体は取り立てたことではありません。
SONYストア名古屋はBINO栄に入っていますが、ビル全体の清掃メンテナンスは業者委託しているようです。その社員さんによると、ある女性清掃作業員さんが私の写真が写ったギャラリーのポスターをじっと見て「私この人のこと知っている。前から好きで、サインをもらいたいぐらい」と話されたと。
ギャラリー開催中は開店時刻前にはエスカレーターに並んで、動き出すと同時に一番乗りしていたのですが、動き出す前に手すりを除菌作業しておられた女性の作業員さんには気づいていたのですが、まさか「私のこと知りませんか?」と聞くこともできず、、、そのまま時は流れています。

以前に岐阜シティータワーの岐阜チャンアートギャラリー写真展をある女性が訪ねてこられて、入口の案内看板の私の写真をじっと見て岐阜放送社員さんに「この人と連絡がとりたい」と名前を名乗って申し出られたことがありました。社員さんは私の連絡先を教えることはできないけれど、私に連絡をしてみますから、と話されたそうです。
社員さんから伝えられた名字に心当たりはなく、不思議に思いながらもともかく電話してみると、徳山小学校塚分校の休校前の最後の年を教えた女の子でした。その子は小学校1年生でした。名字が変わっていたために気がつきませんでした。6年生の兄と2人きりの分校でした。兄は金生山姫螢観察会に来てくれたことがあります。村の暮らしの知恵をたくさん教えられ、たくさん助けられました。

いろいろ思い出されます。

昨日の12/25、68回目の誕生日を迎えました。
お祝いメールをいただいた友人にはお礼を申しあげます。

                                                 (12/26 篠田通弘)